えびすぱぱブログ

2018

2018年

8月

29日

子どもが一番知りたいこと!?

8月27日熊本、28日大阪で

子ども勉強会「高田塾」が開催されました。

 

 

 

通常は高田先生が

世の中の仕組みや

メディアでは流れない本当の情報などを

子ども達に分かりやすく授業をするのですが、

今回は夏休み特別企画ということで

スペシャルゲストとして

輪座先生が登場することになりました。

 

 

 

 

昨年もお招き頂きましたが
その時は
「宇宙人はいるのか?」
という壮大な(?)テーマでした。
 

 

 

子ども達はとても興味津々と
真剣に聞きメモをとったり
素晴らしい授業姿勢でした。

 

 

その姿を見てて大人達も
真剣に聞いていました。

 

 

 

 

 
なので今年のテーマは何か?
期待を満身に受けての授業です♡
 

 

 

 

 

 

 

迷いに迷ったすえに
「人は死んだらどうなるのか?
生命のしくみ」
という究極のテーマでお話しさせて頂きました。

 

 

 
実はこれらのテーマは
私が幼い頃から
いつも疑問に思い、
深く関心を持ち、
考えていた2大テーマなのでした。

 

 

しかし
誰も教えてくれる訳がありませんし、
家庭や学校でも
理論的に教えることができる大人は
ほとんどいない時代でした。
 

 

 

このテーマを
今回話そうと思ったキッカケは、
以前から熱望していた
ある映画を観に行ったことでした。
 

 

 

『リーディング』

 

 

 
この映画は
今日まで映画化したくても出来なかった、
ある人物の物語です。
 

 

 

 

 

何度もハリウッドで
彼の生涯を映画化しよう
という話が持ち上がりましたが、
諸般の事情で実現出来ませんでした。
 

 

 

数年前には誰もが知っている
有名なハリウッド俳優が主演で
3回脚本が作られたのですが
実現出来なかったそうです。
 

 

 

一度はあのスピルバーグまでもが
映画したいと望んだと言われていますが、
実現されずに終わりました。
 

 

 

その人物とは誰でしょうか?
 

 

 

皆さんは知っていますか?
『エドガー・ケイシー』
と いう人物を。

 

 

大人でも
知っている人は
少数だと思います。

 

 

 
彼は20世紀最大の
予言者と言われる能力の持ち主でした。

 

 

彼は1945年に亡くなりましたが、
その時代に医療、生き方、
魂のしくみ等様々な問いに答え、
(これをリーディングと言います。)

 

 

その内容が記録されており
総数は1万4306件にのぼり
現在に至っても
有益な情報として人類に役立っています。

 

 

彼について書かれた本
「転生の秘密」ジナ・サーミナラ著 たま出版 
は深く感銘を受け何度も読み返した本です。
そこには肉体が滅んでも
魂は何度も生まれ変わり成長してゆく。
 
ということが具体例をあげて解説されています。

 

 

 
現在では矢作直樹 東大名誉教授や
飯田史彦 元福島大教授 
故船井幸雄氏等
社会的権威のある方々が
同じことを説いています。

 

 

アニメでは
「花田少年史」
(一押しのアニメです。
チェックしてみて下さい。)
という少年が霊界の人々との交流による
愛情溢れる物語がヒットしたり、
私の幼少時代は
あり得ない程
これらの情報や
大勢の人々の関心が
表面化してきました。
高田先生が
戦争の話や特攻隊の話をした後、
輪座先生が話をしました。

 

案の定、

子ども達は聞いたことも無い内容に
真剣に耳を傾けていました。
大人達も大変に関心を示した授業でした。

大人の私達が

子ども達よりも
知りたい事なのかも知れませんね!?

 

 もしあなたが

自分の子や孫から
「宇宙人はいるの?」
「人は死んだらどうなるの?」
と質問を受けたら何て答えますか?
 
大人の私達が勉強したいですよね。
今回の授業では
冒頭に私がみっくん小6の時に送った手紙を
「もし、あなたが小6の頃にお父さんから
こんな手紙をもらったらどう思いますか?」
と言って読み上げました。
皆さんも子どもの頃に
親からこんな手紙をもらったら
どうでしょうか…?
 

 

 

以下2014年10月28日のブログより

 

大切なのは
「本当のことを知ろう」と思うことです。
そして自分で調べて、
体験したりして考えることです。
皆が当たり前だと思っている
常識というものは
全く意味がありません!
 
みっくんが小学校を卒業して
大人になる頃には
人間は何度も生まれ変わるという
生命の仕組みも分かるようになり
この地球以外の星の人達との
交流も当たり前になって、
他の星に旅行に行けるようになるでしょう!
 
みっくんが大人なって父親にった時、
子ども達は
「昔の人達は何であんなに
争いや戦争、放射能など…
自分達が滅びることが分かっていながら、
しかも皆が望んでいないことを
やり続けることが出来たのだろうか?」
と思うことでしょう☆
授業の最後に必ず
私は子ども達にメッセージします。

 

「今日の先生の話が
本当なのか?
どうなのか?
は自分で調べて確認して下さい。
自分で調べて考える習慣が
あなたを成長させ
未来を創って行きます。
知りたい事や分からない事、
疑問に思った事は
そのままにしないで下さいね‼」
 

 

大人の私達も
子ども達の疑問に
答えられるように
成長していきましょう✌

 

 

すべては子どもの未来のために❤

熊本の集合写真

授業中です

大阪の集合写真

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2018年

8月

26日

栄光のサマーフェスライヴ

 今年の夏もまた
「福田リゾートサマーフェス2018」
が8月21日から3日間、
千葉県富津にて開催されました。


3日目の8月23日に
恒例のライヴが
大盛況のうちに終えることが出来ました。


応援して下さいました皆様に心より感謝申し上げます
昨年のサマーフェスライヴは69年間
ギターを持ったこともない
樋口パパが
特訓の末にデビューを果たしましたが、
今回は
昨年のクリスマスライヴでデビューした
トモちゃんも参戦して
私を含めて
3人で熱唱(?)させて頂きました。
今回のトピックスは、
昨年のクリスマスライヴから
今回の練習日まで
ギターを持ったこともない
樋口パパが
突然「ゆずの栄光の架け橋をやりたい!」
と言い出したので、
そこまでやりたいなら…

 

 
という訳で
最後の曲として
3人でやることになりました♬





何度も3人で練習を重ねた結果、
何とかまとまった感じになりました✌


 
樋口パパからのコメントです。
「ライブを成功させる為には
もちろん時間のある限り
一所懸命レッスンをして
当日を迎えます。

そして
何時も思う事は
上手く出来るだろうか?
何を伝えられるのだろうか?
不安の中ライブがスタートします。

ライブが終わり
仲間が喜び
感動してくれる姿を観る事で、
やって良かった!
新曲にチャレンジして良かった!
輪座さん朋ちゃんと
一緒にやれて良かった!

今回もライブを通して
学ぶ事が沢山あり
不思議なぐらい
前向きに成る自分がいます。
ありがとうございました。」




トモちゃんはさすがギター部の秘蔵っ子!
だけあって
初心者の弾き語りではあり得ない
「500マイル 松たかこバージョン」
のプレイを
見事に披露しました。
 
実は当日の本番前まで
必ずミスしていたので
心配していましたが、
ワインを飲みながら
顔が桜色になるやいなや…
 
今までとは別人のように
ミスがなく
完璧に弾けるように
変身してしまったのでした!
お酒が飲めないと
固定観念があったトモちゃんが
アルコールで
モモレンジャーに変身したのです(笑)
 
まさしく
「観念もったらアカンネン!!」
ですね!



トモちゃんからのコメントです。

「500マイル、
なかなか上達せず焦りましたが、
皆さんの暖かい目差しと、
ワインでリラックスさせていただき、
なんとか任務遂行できました。

2度目のステージが
福田リゾートの野外、
お金を出しても経験出来ない
体験をさせてもらいました。」

♪yamagami♪♪




わたしも
本番まで選曲が決まっていなかったのですが
何とか三曲やらせて頂くことが出来ました。
 
その内の一曲
「ひまわりの約束」
は難易度が高いので
今回は見送ろうと思っていたのですが、
ステージに立ったら自然に歌っていました。
 

当日、北海道の北見から
5ヶ月の赤ちゃんがママと来ていて
その子の笑顔に
インスパイアーされたんだろうと思います。
 
本当に赤ちゃんや子どもの笑顔には
素晴らしいパワーがあり、
みんなを幸せにしてくれます。
 


世界中を子どもの笑顔でいっぱいにしましょう‼
 
それが私たちの仕事になるのだから
素晴らしいですよね♪

 

 
この子が20年後に
このブログを読んだら覚えているかな?
 
あと20年後に
私たち大人はどんな世界をつくり、
この子達にバトンを渡すことができるのか?
 
 

すべては子どもの未来のために❤
夕奈ママと良くん(5ヵ月)
この笑顔に神様の光が輝いています☆
大人はそのパワーで
瞬時に笑顔になり
幸せ感が溢れてきます☆彡
アンコール曲の
「栄光の架け橋」
トモちゃんのハモリで本当に助かりました!
樋口パパもやりたい曲ができて幸せにですね!
70周年でこんな夢が叶う人生は憧れです♥
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2018年

8月

06日

原爆投下は人体実験だった?

今日は8月6日、

広島に原子爆弾が投下された日です。

 

ウラニウム型核爆弾・リトルボーイ

 

8月9日には長崎に

プルトニウム型核爆弾・ファットマン

が投下されました。

 

 

 

このような日には

是非とも子ども達や孫達と

日本や人類や歴史にとって

どのような意味があるのかを

話し合ってみて下さい。

 

 

必ずや

子どもの未来を守るために

役立つことになります。

 

 

 

「原爆投下は人体実験だった?」

 orangeさんのブログより抜粋させて頂きます。

米国が原爆を投下した理由として、

日本本土上陸作戦を行った場合の

米軍兵士50万人の生命を救うためだ

ということが米国内でよく言われています。

 

しかし、日本が降伏しない場合、

米軍は昭和20年に九州上陸作戦を計画しており、

その際には最大で2万5千人の戦死者を

予測していました。

 

翌年の昭和21年3月には

東京正面の上陸作戦を計画しており、

そこでは1万5千人から2万1千人の

戦死者を予測していました。

 

米軍の戦死者50万人というのは根拠がなく、

最大で4万6千人の戦死者と予測していました。

 

 

原爆投下が戦争を早く終わらせるためではなかった

というのは、米軍関係者の発言からも分かります。

 

 

米国空軍のカーティス・ルメイ将軍は、

 

「戦争は、本来、ロシアの侵入なしで、そして、

原子爆弾なしで2週間で終わっていました。

原子爆弾は、全く戦争の終わりと、

関係がありませんでした。」

 

と言っていました。

 

 

 

カーター・クラーク准将は、

 

「我々は、ますます多くの商船を沈め、

日本人をますますひどい飢餓に陥れていた。

このことだけでも、彼らに卑屈な屈服を

強いることができた。

我々はそれ(原爆投下)を行う必要がなかった。

我々は、それを行う必要がない

ということを知っていた。

 

それでも、我々は日本人を

2発の原爆の実験のために利用した。」

 

と言っていました。

 

 

米軍は、タイプの異なる原爆を

広島と長崎に投下しました。

広島にはウラン235型、

長崎にはプルトニウム239型

の原爆を落としました。

 

原爆の威力を確かめるため、

以下の条件に該当するところが

投下候補地になっていました。

 

①直径3マイルを超える都市

②爆風により効果的に破壊できる地形を持つ都市

③8月までに通常爆弾による爆撃を

実施していない都市

 

 

最終的に原爆投下の候補地になったのは、

広島、京都、新潟、小倉の4都市でした。

 

広島は太田川の三角州の上に発達しており、

市の中心に投下すれば広島市全域が

被害を受けると見込まれていたため、

原爆の威力を試すには

最適だということで選ばれました。

 

長崎に落とした原爆は、

実は小倉へ落とす予定でした。

しかし、原爆投下のために飛来したB-29に対して、

日本陸軍の守備隊が高射砲で激しい応戦をしたため、

原爆投下目標の目視ができなくなりました。

 

更に、日本軍の戦闘機が緊急発進してきたため、

小倉への原爆投下を断念して長崎に切り替えました。

 

小倉に原爆投下ができない場合には、

長崎に投下することが

あらかじめ決められていました。

 

 

広島の原爆投下では約14万人、

長崎では約7万4千人が死亡しました。

 

広島や長崎で死亡したのは、

ほとんどが戦闘員ではなく一般市民でした。

 

 

一般市民を無差別大量虐殺するのは、

戦時国際法違反です。

 

戦争を早く終わらせるためであれば、

広島への原爆投下で原爆の威力は

十分に日本に伝わったのですから、

原爆投下は1回でよかったはずです。

 

 

タイプの異なる原爆を落としたのは、

2種類の原爆が兵器としての殺傷能力や

都市に与える被害の効果を見るためでした。

 

 

戦後に進駐してきた米国は、

広島と長崎に原爆傷害調査委員会

(ABCC)を設置して

放射能の影響調査を始めました。

 

 

そこに生存者を連れて行き、

血液を採取し、傷やケロイドの写真、

死亡した被爆者の臓器などを摘出して、

様々な調査や記録を行っていましたが、

治療をすることはほとんどありませんでした。

 

 

被爆した人を治療すると言って

病院に入院させたが治療をまったくせず、

その後に死亡すると司法解剖して

臓器などをホルマリン漬けにして保存し、

アメリカに持って行き分析もしていました。

 

 

米国は、原爆によって

重度の火傷や放射能傷害の治療方法を

必死に模索していた広島と長崎の医者達に、

治療方法の発表と交流を禁止し、

被爆者のケロイドの皮膚・臓器・血液などや

カルテを没収していました。

 

更に、日本政府に国際赤十字から

医薬品の支援申し出を拒否させ、

治療させることをことごとく妨害していました。

 

外部から広島や長崎に入ることを禁じ、

原爆報道も全て禁止しました。

 

原爆傷害調査委員会が

広島と長崎から収集した医学データと

ビキニ環礁での原水爆実験のデータを利用して、

爆心周辺で放射線から身を守るには

どのような服装にすればよいかなど

米国国防総省が研究していたことが、

米国の文書から確認されています。

 

広島に原爆が投下されたのは、

昭和20年8月6日の8時15分でした。

 

この時間は、工場労働者が仕事を始め、

子供たちが外に出て遊びに出る時間で、

米軍はそこを狙ったと

米空軍史に載っているようです。

 

 

そして、当時の広島には米国人捕虜がいて、

原爆によってその捕虜23人が死亡しました。

 

国際赤十字がそのことを確認しましたが、

米当局は公表をせず、

遺族には被爆して死亡したことはおろか

広島で死んだことさえ知らされていませんでした。

 

 

ちなみに、広島に米国人捕虜がいたことは、

英国情報部から通告されて

米国側は知っていたようです。

 

しかし、それに構うことなく

広島に原爆を投下しました。

 

米国は、捕虜になっていた米国人の命よりも、

原爆の効果を確かめることを優先したのです。

 

 

原爆投下は、米軍の509混成軍団によって

実行されました。

 

509混成軍団は昭和19年秋に結成された

原爆投下のための特殊部隊です。

 

この部隊は、超大型爆弾を使った原爆投下訓練を

日本各地で行っていました。

 

原爆投下に際しては、

爆発に巻き込まれないように

高度1万メートルで飛行する必要がありました。

 

投下訓練でも同様の条件で行っていました。

 

投下訓練では、パンプキンと呼ばれる

大型爆弾を使用していました。

 

全国各地で行われた投下訓練によって

49発のパンプキンが落とされ、

400人が死亡したと推計されています。

 

投下訓練は、長崎に原爆が投下された後にも

行われていました。

 

 

昭和20年8月14日に愛知県の春日井市と豊田に

4発のパンプキンが投下されていました。

 

米国は、広島と長崎に原爆を投下した後も、

まだまだ原爆を投下する気満々だった

ということです。

 

 

 

8月15日に昭和天皇による

終戦の詔書の放送がなかったら、

米国は更に原爆を投下して

実験を続けていたのではないでしょうか。

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