FRB終焉説と第三次世界大戦 

     国際通貨システムの大変化と雨傘革命

執筆者:片桐 勇治(かたぎり ゆうじ)さん

(政治評論家 国際政治アナリスト)
※片桐 勇治さんの詳しいプロフィールは文末にあります

●今年最大の山場が10月中旬にあった

10月13日、米国バージニア州アーリントンで

FRB議長、米財務長官、英中央銀行総裁、

英財務相ら両国の金融当局者が集まり、

「両国で営業する大手金融機関が

破綻した場合の対応を確認するため

模擬演習を実施する」と

報道されました

(2014年10月11日

The Wall Street Journal日本語版)。


唐突とも言えるこの会議が

10月中旬に開かれていましたが、

その前日まで、ワシントンでは

9日~10日まで

G20財務相・中央銀行総裁会議、

10日~12日まで

IMF・世界銀行年次総会が開かれていました。
この両日程へは

麻生財務相と黒田日銀総裁が出席し、

世界各国の財相、中央銀行総裁が
ワシントンに集結しています。

一方香港では、

9月後半から始まった反政府デモが

10月10日から15日にかけて最大化します。

この反政府デモは当初、

「セントラル(中環)を占拠せよ」

と呼びかけられ、

HSBCやスタンダードチャータード銀行がある

香港の金融センター・中環が舞台となり、

その地域一帯が麻痺状態に陥ります。

9月29日、ブルームバーグは、

このデモの影響で、

スタンダードチャータードや

HSBCホールディングスなどの銀行が

一部の支店を閉鎖、

またゴールドマン・サックス・グループや

バークレイズ、シティグループなど

名だたる金融機関が閉鎖されたと報じました。


そして、その状況が10月半ばに最大化します。
そして10月29日、

FRBは量的緩和終了を決定し、

2日後の31日には日銀の

サプライズ追加金融緩和が発表され、

世界的なニュースになります。

今年の10月は世界的なニュースが目白押しで、

それらを繋ぐキーワードは「金融」です。


そして、これらの一連の出来事には

さらに深い背景があります。

その「背景」を知ると

これらの一連の出来事は、

単なる偶然の事象から、

繋がりがあるものになっていきます。

 

今年もあと1ヶ月少々で、

まだ何があるかはわかりませんが、
恐らく世界において今年の山場は

10月の半ばではなかったかと思います。
そしてこの10月に生じたことは、

今年だけではなく将来にわたって

大きな影響を及ぼすと予想します。

さらに今年の初めからウクライナ騒乱、

2件のマレーシア航空機の事件・事故、

ISIS(イスラム国)、エボラ問題と

世界は非常にきな臭い事象が続き、

第三次世界大戦の始まりと言われ、

一方でカオスを招くような事象が続きましたが、

これらもこの「背景」に起因するもの

と考えます。

それでは、その「背景」とは何かということを

縷縷説明していきます。


●FRBが今年最大のテーマ

さて、前回の寄稿文では

「国際社会は戦争とお金とゴールドで動き、

それを規定する契約で形作られている」

と申し上げました。

このことに戦略物資も入ります。

契約は通常、年限が決められています。

そうでないと契約が永遠になってしまいますが、

総じて期間は10年、20年、60年と

最長と言われる99年が一般的です。

そういう意味で、毎年毎年、

過去のある時点で取り決められた

年限が来るわけで、

年限を過ぎればそれまであったシステムや制度、

仕組み、支払い、倍賞などが終わり、

自然とその後の世界は

それまでとは違う様相を呈し、

変化が生じます。


その一つとして、

日本から米国に対する支払いが終わり、

2013年4月、日本が独立したと

前回、申し上げたわけです。

いずれにせよ、毎年毎年、

過去の何かの契約が終わる可能性があり、

そのことをよく見ると、

国際情勢の過去と現在の変遷や構造が

はっきり見える一つの手がかりになります。
さらにその契約に至る経緯や状況をよく見ると、

世界の構造もはっきりと見え、

同時に現在や未来も見えるようになります。

そのような観点で見ると

FRBが昨今、ちょうど99年の節目を

迎える時期になっています。


実際、昨年までFRB99年説終焉説が

様々な場面で言われました。

その根拠は米国連邦議会上院で

中央銀行設立法

(オーウェン・グラス法)が成立、

ウィルソン大統領が同法に署名した

1913年12月23日を起算日とし、

2013年12月22日が

99年の最終日となることです。

私も当初、そう考えていたのですが、

前回取り上げた日本の独立について

以前執筆していた時、

日本の独立の起算日が

「契約」に署名した1951年の

サンフランシスコ講和条約時ではなく、

「契約」が施行された翌年の

4月28日であり、

また契約期間の計算方法は

例えば60年だと

60年と364日23時間59分までであること

を思い出しました。

それと同じように考えると、

FRBの起算日は「契約」が成立した

1913年12月23日ではなく、

FRBが業務を開始=「契約」が施行された

1914年8月10日ではないかと考えました。

その日を起算日とすると

2014年8月9日で

99年間が満期となります。

それなら今年、

FRBの終焉

=Federal Reserve Note(ドル)の終焉

ということがあり、

そのことについて様々な事象が発生し、

特に8月以降は大きな動きがある

と予測していました。

今年の10月の状況を見ると、

そのことを裏付ける動きと考えられます。

しかし、明確に現在をよく見るため、

100年前の状況やFRBの成立過程について

さらに掘り下げ考察しましょう。


●99年という年限の意味

因みに99年の「契約期間」というのは、

主に欧州や米国での

不動産賃貸借契約に見られます。

古くから慣習的に用いられている傾向が強く、

契約関係の永久性の否定

という観点があるようです。

かつて英国領であった香港も

英国による99年の租借

という形をとっています。


●FRB成立時の100年前の状況

100年前というと第一次世界大戦

(1914年-18年)が始まった年であり、

同時にFRBも成立し発足しています。

国際社会の本質的要因は、

戦争とお金、そして契約です。

この観点で見ると1914年というのは、

正に特異点とも言える特別な年です。

実際、第一次世界大戦を契機として
国際連盟が設立され、

一方でこの大戦の倍賞などを遠因として

第二次世界大戦に突入していきます。
またFRBができた米国はその後、

世界の覇権国になり、

ドルは基軸通貨となり、今に至ります。

第一次世界大戦とFRBという、

国際社会を動かす要因である戦争と

お金で大きな変化があった

非常に特別な年が1914年で、

その後の世界に大きな影響を及ぼしています。

そして第一次世界大戦とFRBをよく見ると、

この二つの関係性が見え、

現在に繋がる構造が見えてきます。

まずFRBの成り立ちについて考察します。


●FRBの成り立ちと本質を考える

FRBは通貨を発行する中央銀行ですが、

100%の株式を民間が所有する民間銀行です。

日本銀行も株式会社ですが、

株式の約半分は政府が保有しています。
また、FRBの株主は秘密にされ

明かされることはありません。

米国の経済を根底的に左右する

中央銀行の所有者が

明かされることがないのです。

米国の本質的一面がそこにあります。

1913年12月23日、

クリスマス前で多くの議員が出席しない

米国連邦議会上院でほとんど審議されずに

中央銀行設立法が成立、

直ちにJ.P.モルガン、

ポール・ウォーバーグ、

ジョン・ロックフェラーに後押しされた

ウィルソン大統領が同法に署名、

FRBが成立し、

翌年1914年8月10日から業務を開始します。

FRBの正体と成立過程については、

元駐ウクライナ兼モルドバ大使の馬渕睦夫さんが
『国難の正体』(2012年 総和社)で

大変鋭く素晴らしい分析をされていますので、

ここでは馬渕元大使の言葉をお借りし、

解説していきます。

馬渕氏には

討論番組などで何度もお会いしましたが、

いつも気さくに声をかけていただいたりして、

とても穏やかで知性的な方です。

とかく陰謀論などと揶揄されがちな事柄を、

馬渕氏のようにキャリアがあり、

また整然と説明された内容は

大変価値が高いものと評価します。

以下、馬渕氏の説明を引用します。


●米国草創期の中央銀行史

「1776年にアメリカが

独立宣言を発出しますが、

独立戦争は以後7年間も続くのです。

この間、イギリスやヨーロッパの銀行家たちは

植民地戦争をあおって

双方に金を貸して儲けます。

そして1783年にようやく

イギリスとの間で和平が成立し、

ここにアリカは名実共に独立国家となります。

以後、イギリス・ロンドンの金融家たちは

アメリカの金融支配工作を本格化させます。

その最初のステップは、

アメリカに中央銀行を設立することでした。
この中央銀行には二つの特色があります。

第一は、

通貨の供給を独占的に行うこと。

第二に

民間の銀行であること。」

(『国難の正体』2012年 

馬渕睦夫著 総和社 P.108)

前回も言及しましたが、

国際銀行家(国際金融資本)が

戦争で戦う両者に資金を融資することが

ここでも生々しく書かれています。

また、国際銀行家が通貨発行の独占

=金融の独占を目指すこと

を馬渕氏は指摘しています。

この独立戦争後の1791年、

中央銀行である合衆国第一銀行が設立されます。


●合衆国第一銀行

「この合衆国第一銀行は、

株式の80パーセントを

ロンドン・シティーの

ネイサン・ロスチャイルドなどの

民間銀行が所有し、

アメリカ連邦政府は20パーセントを

保有するだけでした。

事実上、

シティーやニューヨークの民間銀行が所有する

中央銀行だったのです。」

(『国難の正体』P.109)

合衆国第一銀行が設立されてから20年後の

1811年に中央銀行法が期限切れを迎え、

同法を更新するか否かが

米国議会で大論争となり、

その結果、更新は否決されます。
そして、

翌年の1812年に米英戦争が勃発します

(『国難の正体』P.109)。
馬渕氏はこの戦争を

「中央銀行法を更新させるために、

シティーがイギリス政府をけしかけた」

(『国難の正体』P.109)

と指摘します。

正に戦争とお金そのものです。


●合衆国第二銀行

米英戦争の結果、

米国政府の債務は約3倍に増大し、

深刻なインフレとなり、その対処のため

1816年米国議会は

合衆国第二銀行の設立法を可決します。

第二銀行は第一銀行と同様に

民間中央銀行でした。

その後、第二銀行の更新期限がきます。

(『国難の正体』P.110)

「1832年にはジャクソン大統領は

第二銀行の更新を拒否し、

シティーやニューヨークの

民間銀行家たちとの間で

攻防が繰り広げられました。

しかし、ジャクソン大統領は

最後まで妥協せず、やがてアメリカは

南北戦争に突入してゆくことになります。」

(同上)

正に米国の草創期は、

国際銀行家による

民間中央銀行との攻防と戦争の歴史

と言っても過言ではないでしょう。

この後にリンカーンが

米財務省の法定通貨を発行します。
しかし、ご存知のように彼は暗殺されます。


●第三の合衆国銀行=FRB設立

そして、第三の合衆国銀行

=FRB設立へと時代が進みます。

第三の合衆国銀行設立のために、

ロンドンやニューヨークの銀行家たちは、

リンカーンが発行した

法定通貨を無力化する工作に着手、

その第一段階は

米国をロンドンの金本位制に縛り付けることで、
そのためにニューヨークの銀行家たちは

ロンドンの銀行家たちと共謀して、

保有していた財務省証券を売却し、

その支払いに金(ゴールド)を要求して

財務省の保有金をショートさせ、

1883年に金融パニックを発生させます。

このため米国は史上最悪の経済恐慌に見まわれ、

最終的に、金本位制法が1900年に成立し、

リンカーンの法定通貨は

金を保有するイギリスの銀行家たちの

コントロール化に置かれます。

(『国難の正体』P.115-116)

工作の第二の段階として、

「財閥銀行家たちの最終目的が、

アメリカの通貨発行権を掌握することです。

そのためにもう一度

パニックを起こす必要がありました。

1907年、ニューヨークの中央銀行の

ニッカー・ボッカーがモルガンたちの

仕組んだ風評によって倒産に追い込まれて、

銀行恐慌が勃発します」

(『国難の正体』P.116)

と馬渕氏は指摘します。

正に金融パニックが国際銀行家の

様々な目的のために「つくられる」姿を

生々しく指摘しています。

工作の最終段階は、

アメリカ南部ジョージア州海岸沖の

ジキル島における

銀行家たちの秘密会合です。

この秘密会合の結果、

この民間中央銀行計画が

連邦準備制度という内容不明の名称にされ、

米国議会から通貨ドル供給の権限を

完全に奪う形となり、議会に提出されます

(『国難の正体』P.116-117)。

そして1913年12月23日、
議会を通過して成立します。

馬渕氏はFRBのポイントを

以下の3点あげています。

【1】通貨発行権など

  米国通貨管理が民間人であること
【2】FRBの株主は民間銀行のみで

  米国連邦政府は一株も所有できないこと
【3】米国連邦政府は

  金(ドル)を必要とするとき、

  FRBに国債を買ってもらう

  =FRBに借金をすること
(『国難の正体』P.120-121)


●FRBの株主は主に欧州の銀行

【2】のFRBの株主については

完全に秘密ですが、

様々な情報を総合すると

以下の銀行になると馬渕氏は指摘します。

・ロスチャイルド銀行(ロンドン)
・ロスチャイルド銀行(ベルリン)
・ラザール・フレール(パリ)
・イスラエル・モーゼス・シフ銀行(イタリア)
・ウォーバーグ銀行(アムステルダム)
・ウォーバーグ銀行(ハンブルク)
・リーマン・ブラザーズ(ニューヨーク)
・クーン・ローブ銀行(ニューヨーク)
・ゴールドマン・サックス(ニューヨーク)
・チェース・マンハッタン銀行(ニューヨーク)
(『国難の正体』P.125)

ロスチャイルド銀行は

合衆国第一銀行の時からですが、

総じて株主に欧州の銀行が多いのが

特徴と言えるでしょう。


●FRB最大の罠

【3】について、馬渕氏はこれが

「最大の罠」と述べています。

これはどういうことかというと、

米国連邦政府がドルを必要とした時、

財務省が国債を発行し、

FRBにそれを買ってもらうという

手続きになるということです。

即ち印刷したドルでこの国債を
FRBが買った形にし、米財務省は

ドルを印刷して発行する民間銀行FRBに

借金をすることになります。

そして国債には金利がついていますから、

その利子も

米連邦政府はFRBに払うことになります。

馬渕氏は米国政府が財政赤字になる仕組みは

ここにあると指摘し、

同時にドルは米国政府の負債によって

創造される、FRBにとっては濡れ手に粟の

現代の錬金術と指摘します

(『国難の正体』P.120-121)。

これは国際銀行家が政府の負債によって

政府への支配を強化するということです。
前回、私が触れた

日本が米国経由で

サッスーン財閥から借りた30億ドルによって、

日本が自衛権などを差し出した

ということと同じ構造です。

よく世界から投資を呼びこんで

経済を活性化させるという

スローガンがありますが、

投資を呼びこむとは借金をするということです。

世界一の債権国がなぜ

そのようなリスクがあることを

しなくてはならないのかと

常に疑問に思います。

そして、ドルが発行されるとは、

FRBが米国連邦政府に融資することですので、

当然、債権者は

その融資が焦げ付かない保証を求めます。

馬渕氏はそれをFRB発足に合わせて制定された

米国の所得税と指摘しています

(『国難の正体』P.125)。

所得税が一種の担保ということです。

このことも前回、私が触れたことで、

国際社会の中では、
税の本質が国内で言われていたものと

全く違うものであることがよくあります。

そういう視点で自国の税を見る必要があります。
欧州の銀行家を中心にした

FRBの正体が

少しお分かりいただけたと思います。

このことと同時期の第一次大戦と

照らしあわせて考えると

さらに深層が見えてきます。


●欧州大戦だった第一次世界大戦

第一次世界大戦はご存知のように、

1914年6月のオーストリア皇太子暗殺

(サラエボ事件)が契機となり勃発します。

しかし、サラエボ事件は引き金であり、

実はその時までに欧州は二分され、

ドイツなどの同盟国(三国同盟)と

イギリスなどの連合国(三国協商)とに別れ

一触即発、いつ戦争が起きても

おかしくない状態でした。

そして、同盟内で各国が集団的自衛権で

結ばれていた事によって、

一発の銃声で戦火が一気に拡大するのです。

集団的自衛権の危うさがここにあります。

この二つの同盟の戦いが第一次世界大戦であり、

世界大戦と言っても本質は

欧州全土が主戦場となる欧州大戦です。
実際、世界大戦と名づけたのは

日本人であるようで、

1930年代までは欧州大乱、

欧州大戦と呼ばれていたようです。


●第一次世界大戦の特徴

第一次世界大戦が本格化したのは、

1914年8月に入ってからです。

正にFRBの営業開始と同時期です。

その後、ご存知のように

戦死者約2,000万人、

負傷者約2,200万人の

膨大な犠牲者を出して、

連合国の勝利で終わります。

戦費は莫大となり、

当時の参戦国の総歳出額の

6割を占めたと言われています。

ただし、

米国の支出はほとんどが参戦国への貸付です。

また、戦費調達は公債がほとんどで、

戦費の長短公債依存率は

各国とも約7割を超える額になっています。

正に政府の負債が膨大となり、

このことがその後、

欧州各国を縛っていきます。

また日本などで戦争景気になったりと、

一種のバブルも発生しています。

さらに特徴的なことは、

この大戦によって

欧州の支配構造が大きく変わったことです。
欧州随一の名門と言われたハプスブルグ家は

この大戦によって崩壊します。

ロシアもこの大戦を契機にロシア革命が起こり、

ロマノフ王朝が滅亡します。

またドイツはその後、

ワイマール共和国へとなっていきます。

第一次大戦の特徴は

まとめると以下のようになります。

1.欧州大戦であること
2.膨大な犠牲者が出たこと
3.膨大な戦費がかかり、

  その調達はほとんどが公債であったこと
4.戦争バブルがあったこと
5.欧州の支配構造が大きく変わったこと


●FRBは第一次世界大戦に必要な装置

馬渕氏はFRBの成立における米国での

生々しい過程を指摘していますが、

視野をもっと広げ、

欧州の第一次世界大戦と照らし合わせると

また深い側面が見えます。
それは、どちらも欧州銀行家が

中心的に関与していることです。
戦争はお金儲けと権力奪取のために作られる

と私は、これまで何度も指摘してきましたが、

第一次世界大戦で主戦場となる欧州から

米国に国際銀行家の金庫を移し

(=FRB創設)、

お金儲けと欧州の支配構造を変えるために

大戦が起こされたと私には思えます。
即ちFRBが第一次世界大戦に

必要な装置であった

ということです。

このことを示すように1920年以降、

欧州から米国へ大量に金が移されます

(このことに関する当時の新聞記事一覧は

以下をご参照ください)。

《当時の新聞記事》

【《当時の新聞記事》はコチラをクリック↓

http://www.funai-mailclub.com/f_data/141113.pdf
(ご注意:※上記をご覧いただくための

Adobe Readerが

インストールされていない場合は、

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このことを逆に考えると、

1913年12月23日、

米国で中央銀行設立法が成立しなければ、

第一次世界大戦は起きなかった

とも言えるのではないかと思います。

少なくともFRBが成立するまで

第一次世界大戦は起きなかったのではないか

と思います。

推測に基づく歴史のIFですが、

現代における貴重な教訓になるでしょう。

FRBの成立過程や

第一次世界大戦との関係を見てきましたが、

そこには暴落や戦争は

目的のために行われるという世界観がある

と思います。

戦争は本質ではなく、全ては富の収奪と蓄積、

そして支配構造の転換=権力の掌握にあります。

この世界観で現在を見ることが過去の教訓である

と確信します。


●そのFRBが終焉するとはどういうことか

話を現代に戻します。

そのようなFRBが前述しましたように、

今年の8月9日で99年の満期を迎え、

終焉する、即ちドルがもう刷れない状況

と考えられるわけです。

このことを裏付けるように8月以降、

通貨や金融で世界的な動きが活発になります。

日銀の黒田総裁が8月22日、

米国ワイオミング州で、

FRBの量的緩和終了について

「基本的に好ましいことだ」と述べています

(8月23日 産経新聞)。

一方で日本は金融緩和を進めていましたから、

この時から今に至る円安基調が始まります。

その後、10月29日にFRBが

量的緩和を終了させ、

二日後の31日に日銀が

サプライズ追加金融緩和をします。

日銀がFRBの代わりをやり始めた

とも見えます。

8月以降、

日銀総裁は頻繁に米国に行っています。

私にはこれら一連の出来事が

繋がっているように見え、

FRBに大きな変化があると考えます。

このような状況の反映として

BRICs開発銀行の話があるもの

と考えています。
FRBが終焉しているとすると今後、

米国通貨において起こりえる方向は

二つあります。
一つは、米国政府発行通貨(法定通貨)で、

もう一つは

FRBを発展的解消する広域共通通貨です。

馬渕氏は米国通貨史は米国政府発行通貨と

民間中央銀行発行通貨との

鬩(せめ)ぎ合いの歴史と指摘し、

リンカーンとケネディは

政府通貨を発行したことにより

暗殺されたと述べています

(『国難の正体』P.110-114)。

FRBがなくなれば

法定通貨の方向性は十分あり、

米国連邦政府だけでなく、

各州が発行する法定通貨もあるかもしれません。
もう一つの広域共通通貨は、

FRBと同じように民間中央銀行を

米国だけでなく広域で通用するものに

発展的解消させるものです。

FRBと同じく国際銀行家にとっては

こちらの方が圧倒的に利益が上がりますし、

その範囲がさらに広域になれば

利益は拡大しますから、

当然、銀行家はこの種の新通貨を目指すもの

と思います。

実際、金融専門家の知人が

9月にニューヨークに行った際、

現地で共通通貨のことが

当然のように語られていたと述べています。
また上記方向性にFRBの現状維持

ということもあると考えますが、

既にTPPでユーロのような

共通通貨という方向に

動き出していると考えていますので、

その方向性はもはやないと予想します。


●FRBとTPPの類似点

FRBとTPPの成立過程や内容には

類似点が多くあります。

FRBは極秘の内に設立案が練られましたが、

またTPPも同じく

極秘裏に進められてきました。

TPPの秘密性は

現在進行している交渉だけでなく、

そもそもの案が極めて少数の民間人

600人によって作られたと言われています。
また馬渕氏は、FRBの創設と同時に

その担保として

米国で所得税が設けられたと指摘していますが、

同様なものが現在の消費税であると考えます。
つまりTPPと消費税はセットということです。

これに集団的自衛権が入るでしょう。
常に税金は国際的な面を考える必要があります。

実際、TPPと消費税の議論は

同時期に出てきましたし、

政治状況を見るとTPP交渉と5%以降の

消費税の導入過程が関連していると考えます。

そして消費税は

国民経済を疲弊させるのは確実であるのに、

日銀総裁が消費税増税を唱え、

一方でデフレ脱却・経済活性化のために

金融緩和を推し進めるというのも

奇妙な矛盾した話であると思います。

また国家間のお金のやり取りは外務省ではなく、

財務省が行うことも

忘れるべきではないでしょう。

そもそもTPPが、関税を撤廃し、

企業活動のコストを抑え、

さらに現代の度量衡統一

といえるものを推し進め、

市場統一を目指しているのに、

一方で通貨をそのままにして
為替変動リスクを温存させるのは

おかしいでしょう。
現在の形のTPPを推し進めれば、間違いなく

ユーロのような共通通貨の話になると考えます。

その時、考えなくてはならないのは

円とドルの交換レートです。

円安であれば

日本は大きな富を失うことになります。

新たな円安の意味です。

そして、共通通貨に日本が組み込まれれば、

金融・経済政策の独自性を完全に失うことも

忘れるべきではないでしょう。


●現在の状況

FRBの終焉と

新たな民間中央銀行が発行する

共通通貨という新通貨の方向性が、

現在の世界を動かす

最大の要因と分析します。

もちろん、FRBが終焉したということが
一気に明るみに出れば

世界的なパニックになりますので、

様々な段階を経て

徐々に移行するものと考えます。
そして、新通貨ができた100年前の状況と

その時何があったかを考えて頂ければ、
今年のきな臭い状況は

一気に理解できると思います。

100年前、新通貨発行と同時に
世界秩序を変える第一次世界大戦が起き、

その後の世界を形作っています。

この構造は、今も同じです。

今年に生じたウクライナ騒乱、

南シナ海でのマレーシア航空機失踪、

ウクライナでのマレーシア航空機墜落、

ISISは全て大規模な戦争に繋がるものです。
南シナ海でのマレーシア航空機失踪では、

南シナ海という係争地域に係争当事国など
10ヵ国以上の艦船が集結しましたが、

その状況は軍事的に正に

一触即発であったわけです。
これら大規模な戦争に

発展する可能性があるものが

偶然に生じたとは私は考えません。
そしてもう一つのキーワードは

石油=決済通貨ドルです。

そこには間違いなく

FRB終焉の問題が関わっている

と考えます。


●ローマ法王はこの状況を理解している

このような中、ローマ法王フランシスコが、

「世界は第三次世界大戦の状態にあるとの

懸念を表明」したと

9月14日、Voice of Rossiaで報じました。

同記事では、

「ローマ法王は、

戦争はイデオロギーによって

よく正当化されるが、

実際のところ戦争は

常に誰かの強い欲望や

権力志向の結果であると述べた」

と伝えています。
法王は昨年末から

「グローバル資本主義と闘え」

とずっとメッセージを出していますから、

合わせて考えれば、

彼は的確に現在の状況を

把握しているものと考えます。

長く続いたバチカンは世界の歴史を

誰よりも熟知しているものと考えます。

彼は法王になった昨年から、ずっと戦争を止め、

平和を実現する営みをしてきました。
昨年シリア空爆が問題となった時、

法王の動きが

その空爆をやめさせる要因となったと

言われています(6月9日 時事通信)。

このシリア空爆問題は

中東大戦に発展する可能性がありましたから、

そういう意味では昨年11月から

第三次世界大戦は始まっているのでしょう。

また法王は

イスラエルとパレスチナの和解を仲介したり、

マフィアに対して厳しい態度をとったり、

スキャンダルまみれであったバチカン銀行に

大鉈(おおなた)を振るったりと、

世界の平和と正常化のために

非常に活発に動いてきました。

しかし、その法王の動きに対する反動なのか、

祖国アルゼンチンで親族三人が

自動車事故で死亡しています

(8月20日 朝日新聞)。
世界平和のために動き、弱者を守り、

大きな格差を生じさせ戦争を生み出す

グローバル資本主義と闘う彼の存在は

現在の世界にとって

大変に得難い存在だと思います。

日本人も思想の左右、

労使の立場の違い、

信仰の如何を問わず、

彼が向き合っている状況を
直視すべきだと私は考えます。


●香港反政府デモの真相

このように見てくると、

香港の反政府デモと同時期の

米国アーリントンで行われた

米英財政・金融当局者の

大手銀行破綻への模擬演習は繋がって見えます。

端的に言えば、模擬演習ではなく、

実際の問題を処理し、

一方で香港の金融街を

デモによって封鎖していたと推測します。

香港で封鎖されていた地域にはHSBCや

スタンダードチャータード銀行があります。

両行とも英系の銀行です。

ドル本位制でドルとペッグする香港ドル

という関係の中で、

何かが生じていたのだろうと推測できます。

額面20香港ドル以上の紙幣はHSBC、

スタンダードチャータード銀行、

中国銀行により発行されています。
間違いなくFRB、

特にその終焉との関係があるもの

と考えますし、

米英中の関係の中で、

通貨の問題があったと推測します。

そしてこの2週間後に

FRBは量的緩和

(=ドルを刷ること)を止め、

代わりに日銀がお金を刷ることを強化しました。

この反政府デモが

無名の17歳の少年に率いられたと聞いた時、

世界の近現代に世界中で行われてきた

青年党革命運動のことを想起しました。

この運動は、無名の若者が反政府デモを起こし、

政権転覆などを行うものですが、

常にその背後に金融筋がいたと言われています。

昨今の中東や東欧で起こされた革命も

すべて同じです。

香港の反政府デモが

金融筋と繋がりがあると考えれば、

デモの本当の目的は

香港の金融街を封鎖すること

と考えられます。

封鎖された香港金融街は、

反政府デモと警官隊の

二重の「守り」になっているわけです。

デモが最盛期の時、

米国では大手銀行の破綻処理の

「模擬試験」が行われているわけです。

このように考えると今後、

日中関係も変化していくことが予想されます。

円と元の関係に変化が生じる可能性は

考えておく必要があるように考えます。

実際、本稿締め切りの11月6日、

韓国当局が

「ウォンを円の動きに合わせるよう

為替を制御する」

(11月6日 ロイター)と

事実上の円-ウォンペッグ

とも受け取れる発表をしています。

今後の推移などを論考はできませんが、

通貨の流れが

大きく変わっていることは事実でしょう。

もう一つ言えることは、

米中という関係を考えた場合、

その中国とは香港・上海

と考えたほうが良いと言うことです。

1年半前、『別冊正論』で

私はTPPは米中による

日本への第二の戦後体制の確立である

と述べました。

実際、TPPには

太平洋ルートと大陸ルートがあり、

前者の中心は米国、

後者は中国と言われていますが、

その中国とは南京軍管区がある

香港・上海である可能性があることは

留意すべきだと考えます。


●終わりに

ここまでお読みいただいて

誠にありがとうございました。

ここまで書いてきたことのエッセンスは、

実は既に1年以上前から

様々な場所で申し上げていることです。

当初は申し上げている本人でも

雲をつかむような感覚がありましたが、

現在においては、

常に確信を深めている状況でございます。

そして、この場をお借りして、

昨今の状況を踏まえて

申し上げさせて頂きました。

何かのご参考になれば幸甚に存じます。

そして、時代の変節期である現在、

過去の歴史を踏まえ、

現在をしっかりと捉え、

世界の平和と人々の繁栄を

実現させていかなくてはならない

と心より存じます。

《片桐 勇治さんのプロフィール》

●片桐 勇治(かたぎり ゆうじ)●

政治評論家 国際政治アナリスト
昭和42年生まれ。東京都出身。

中央大学法学部政治学科卒。

高校がミッションスクールの

聖学院高校であったため、

高校・大学時代は聖書研究に没頭。

同じく高校時代に糸川英夫博士の

『日本はこうなる』に出会い、

それ以来、糸川氏に心酔、

その関係でユダヤ教を研究。

また大学時代は、

P・F・ドラッカー研究と

反ファシズム・反軍国主義の観点で

研究を行う。

さらに1988年米国大統領選挙戦の

米国共和党大会を見たり、
米国をバスで縦断・横断したりした。
大学在学中から元航空自衛隊幹部の

参議院議員田村秀昭事務所で

秘書となり、爾来、

元防衛庁出身の鈴木正孝衆議院議員、

元防衛大臣の愛知和男衆議院議員の

秘書となり、一貫して政界の防衛畑を歩む。

1998年から2005年まで

インターネット関連事業を立ち上げ従事する。

2005年、国民新党に入り、

選挙対策本部事務局次長、広報部長を歴任。

2010年より保守系論壇で政治評論を行い、

CS保守系チャンネルの

チャンネル桜での出演は

60回以上を数える。

バランスと本質を重視した保守論評、

政治評論を心がけ、リベラリズムを重視する

保守系左派に位置づけられる。

マクロ経済、外交・安保、選挙、政局、

コンピュータ関連などを

主な評論テーマとする。

子供の頃、山岳信仰で木曽御嶽山に毎年登り、

宗教は神道・古神道。

★日本と世界の政治経済の過去を読み解き、

現在を読み解くブログ
http://blog.kuruten.jp/katagiri