孫正義さん野田一夫さん対談。
「ゲーテ」2010年5月号より抜粋。
今でも、はっきりと覚えています。
“志”と“夢”の違いを聞かれてドキっとしました。
似ているようだけど何だろう、
と頭にクエスチョンマークが浮かんで。
先生はおっしゃいました。
野田先生曰く
「“夢”というのは漠然とした個人の願望。
クルマを買いたい、家を持ちたいといった夢は
みんな、個々人の未来への願望。
でも、その個々人の願望を遙かに超えて、
多くの人々の夢、多くの人々の願望を
かなえてやろうじゃないか、
という気概を“志”というんだ。
夢は快い願望だが、
志は厳しい未来への挑戦だ。
だから“志”と“夢”ではまったく次元が違うぞ。
“夢”を追うなんて程度の男になってはいかん。
“志”を高く持て!」 と。
それはもう衝撃でした。
司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」の一文です。
「人の一生というのは、
たかが五十年そこそこである。
いったん志を抱けば、
この志に向かって
事が進歩するような手段のみをとり、
いやしくも弱気を発してはいけない。
たとえ、その目的が成就できなくても、
その目的への道中で死ぬべきだ。
生死は自然現象だから、
これを計算に入れてはいけない」
孫正義さんの言葉より
志高く「登りたい山を決める。
これで人生の半分が決まる」
皆さんにこれだけは伝えたい。
志高く。
坂本竜馬いわく、
「世に生を得るは事を成すにあり。」
人生一回きりしかないのだから、
この時期に自分が登りたい山を決めてほしい。
自分の人生を何に懸けたいのか自問してほしい。
「登りたい山を決める。
これで人生の半分が決まる」
目指すべき山を決めずに歩くのは、
さまように等しい。
自分は何をもって事を成したいのか?
その1 点だけは決めてほしい。
会社とは何か?
会社とはカンパニーです。
パンを一緒に分け合う仲間という語源ですが、
もっと大事なのは、
志を共有する仲間だということです。
一人で登る山も素晴らしいが、
一緒に登る山はさらに大きくて楽しい。
「志(こころざし)」の大家、
「佐藤一斎」氏の言葉
※江戸時代の儒学者、
著書『言志四録』は
指導者のための指針の書とされた。
「志あるの士は『利刃』のごとし。
百邪も辟易(へきえき)す。
志なきの人は『鈍刃』のごとし。
童蒙も侮翫(ぶがん)す。」
「志(こころざし)」をもった人物は、
鋭く鍛えられた刃(利刃)のように、
あらゆる邪(百邪)を一刀両断しても、
なお鋭く、邪なる者は近づくことすらできない。
しかし、「志」がなければ、その刃は
一目で切れない刀(鈍刃)であることが分かり、
子供(童蒙)にすら馬鹿にされてしまう(侮翫)。
「志(こころざし)」には、
「公明正大」な響きがあるが、
「夢」は、ややもすると、
「個人的な欲望」に
成り下がりかねないところがあるように思う。
吉田松陰語録
(何事も志がなければならない。
志を立てることが全ての源となる)
(志ある人は、その実現のためには、
溝や谷に落ちて屍(しかばね)をさらしても
構わないと常に覚悟しているものだ)
(自分に真の志があれば、
無志(虫)は自ら引き下がるものだ)
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