人はなぜ、宗教にハマるのか?

最近読んだ本の中で

とても参考になった本がありましたので

御紹介したいと思います。

 


このブログでもお伝えしている様に

わが家ではパパと子ども達が

【世の中の矛盾】について話す機会が頻繁にあります。

 


戦争、お金、宗教などは密接に絡み合って

今の世の中をつくっています。

子ども達に分かりやすく説明するためには

それ以上に親が理解していなければ伝えられません。

 


パパの参考書みたいな本でした。

 

 

【人はなぜ、

宗教にハマるのか?】

 

 

 

苫米地英人著

この本によると、

本来人間には進化の過程で

人を殺すことが好きな遺伝子は

淘汰されて残っていません。


それが残っていとしたら、

人類は殺し合いを続けた挙げ句、

はるか昔に滅亡している。

とあります。

人は人を殺すことに対して

強烈な抵抗感、恐れがあります。


それを軽減するために

戦場には多数の従軍牧師がついているそうです。

 


最近分かった、広島に原爆投下した

B29『エノラゲイ』についての新事実から

それらについての関連した内容を

数ヶ所抜粋して御紹介します。

実はエノラゲイの出撃直前に、

数葉の記念写真が撮られています。

エノラゲイをバックに撮った

乗員たちの集合写真がいくつか公開されており、

そのなかの1枚に

神父の姿をした人物が写っているものがあります。

 

この神父は、乗員たちに

祝福を与えたということが伝えられています。

原爆投下のボタンを押し、

大量殺戮を行う乗員たちの迷いと葛藤を鎮めるために、

神父は神の祝福を唱えました。

 

いまでもイラクやアフガニスタンの米軍には、

たいへんな数の従軍牧師がついています。

そして、兵士たちは休憩のたびに戦車の周りに集まって、

牧師とともに祈りを捧げています。

 

そうしなければ、彼らは、

殺し殺される極限状態に耐えられません。

 

現代の戦争は空爆が主体ですが、

興味深いことに、

戦果を確認するテレビモニターはいまだに白黒です。

 

なにも戦費節約のために

カラーモニターにしないのではありません。

 

 

カラーモニターにしてしまうと、

人を殺したという手応えが強すぎるため、

臨場感が下がるように

わざと白黒のままにしてあるのです。

 

たとえた大義をかざした戦争であっても、

ことほどさように兵士たちには、

人殺しに対する強烈な逡巡が働くということです。

 

第二次世界大戦に臨むアメリカ兵においても、

それはたいへんなストレスだったに違いありません。

 

原爆の恐ろしさがよくわかっていなかったとしても、

それを投下すれば一瞬のうちに何万人の命を奪うことは、

エノラゲイの乗員にもわかっていました。

 

そんなことをすれば、天罰が下り地獄に落ちると、

極度の恐怖心を抱かないはずがありません。

だからこそ、神父が同乗したのです。

 

「大丈夫、きみは天国にいける。神も祝福してくださる。」

 

おそらく最後の最後に、

機長がその言葉を聞きながら

投下ボタンを押したのではないかという推測が、

十分に成り立ちます。

 

 

キリスト教徒以外の人間は「人間」ではない!?

 

エノラゲイに13人目の乗員がおり、それが神父だった。

 

このことが導く結論は、

政治による宗教利用という厳然たる事実でしょう。

 

政治が、宗教の力で、

投下ボタンを押させたということです。

 

その点に踏み込む前に、戦争というものについて、

私の考えを述べましょう。

 

私は、人間がこれまで経験してきたあらゆる戦争は

その本質を見極めれば、

すべて宗教が利用されていると考えます。

 

裏にあるのは経済かもしれませんが、

必ず宗教的論理が中心にあります。

古くは十字軍による遠征から、

新しくはイラク戦争にいたるまで、

その根底には宗教的な覇権争いが横たわっています。

 

一神教において、純粋化の求心力は、

自分たちだけが人間だという

強烈な思考となって表れるのがつねです。

 

たとえば、奴隷貿易の成り立ちについて、

次のような歴史的事実があります。

 

1600年にインドに渡り、

肌の黒いインド人を見たヨーロッパの貿易商が、

同行した神父に、

「この黒い人は人間ですか?」と尋ねました。

バチカンには、その記録が残っているそうです。

この時の貿易商が、有名な東インド会社の人物たちです。

そのとき、神父はその場で答えを出さずに、

バチカンに質問状を送ります。

すると、しばらくしてバチカンから、

「人間ではない」と記された返書が送られてきます。

それは「インド人はキリスト教徒ではない」

という理由によるものです。

ヨーロッパ人が奴隷狩りのために

アフリカに渡ったときにも、

同じ手続きが行われていました。

貿易商から尋ねられた神父はバチカンの判断を仰ぎ、

やはり「人間ではない」との回答をえています。

 

このような記憶の断片は、現代にいたるまで残っています。

貿易商たちはバチカンが彼らを

人間と認めないという正式回答を待って、

現地の人間を奴隷という貿易商品に仕分けしました。

 

ご存知かもしれませんが、

東インド会社が行った最大の取り扱い品目は、

奴隷貿易だったのです。

 

こうしてバチカンが

「人間ではない」と認定するたびに、

ヨーロッパ人の海外進出先で奴隷が生まれてきました。

キリスト教徒以外は人間ではなく奴隷なのだ、

という当時のバチカンの判断が、

ヨーロッパに莫大な富をもたらすのです。

 

宗教と侵略はワンセットのパッケージである、

とされる理由がこれです。

 

このとき、「侵略」を「戦争」という言葉に置き換えてみると、

私があらゆる戦争は宗教戦争であると考える理由が、

少しはわかっていただけるのではないでしょうか。

 

 

さて、政治による宗教利用の話に戻りましょう。

 

人殺しの論理を国家単位で展開し、

遂行するのが戦争です。

 

戦争は主権国家の外交権の一部というのが

国際法上の位置づけであり、

それは主要国家の重要な権利とされています。

 

国際紛争は、当事国同士が外交的な協議によって

解決の努力を行い、それでも解決できないときは

戦争を起こしてもいい。ということです。

一般に流布するこのような常識が、

 

すでに危険な価値観だといわなくてはなりません。

 

大二次世界大戦を戦った日本人は、

「お国のために戦う」といいました。

 

アメリカも同じです。

 

アメリカ軍人はみな「アメリカのために戦う」といいます。

 

ベトナム戦争は、ソビエト共和国主義勢力の南下を阻止し、

アメリカの国益を守るため。

 

イラク戦争は、原油のユーロ決済を始める

といったフセイン大統領を抹殺し、

アメリカの石油利権を守るため。

 

アフガニスタン戦争は、

同時多発テロの首謀者勢力を抹殺し、

テロの脅威からアメリカを守るためです。

 

 

利害の対立とは、一言でいえば、ビジネスです。

それがあからさまにならないように、

彼らは組織敵に宗教を利用します。

 

 

原爆を投下された国がその後、

長期的にどのような問題を抱え、

社会的にどのような影響が出るかをはかる

実験を行いたいがために、

日本人はキリスト教徒でない

イエローモンキーだと喧伝し、

投下のさいにはカトリックの神父を利用するという手法です。

 

 

ビジネスの道具と堕した現代宗教の現実

 

アメリカでは製造業の生産性が

相対的に低下するなかで、

企業は人件費の抑制に走りました。

 

経営者たちが目をつけたのが、

従業員の福利厚生費です。

 

とはいえ、一方的にそれをカットする

という話が通るはずありません。

 

アメリカの労働組合は強く、

そんなことを経営者がやろうとすれば、

たちまち大問題になってしまいます。

 

そのとき、彼らが考えついたのが、

従工場牧師の導入です。

 

工場などに選任の牧師をおき、

業員のケアをさせるようにしたのです。

 

当時、経営者たちが頭を悩ませた

人件費増加の原因のひとつは、

 

従業員の精神的、肉体的ダメージから派生する

福利厚生コストの問題でした。

 

人間、将来に不安を抱いたり、

希望をもなかったりすれば、

うつ病にかかりやすくなるし、

食欲の低下から事故も起こりやすくなります。

 

医者にかかれば、

そのための費用負担が増えるだけでなく

休業補償もかさみます。

 

そこで、会社側は定期的に従業員を集めて

牧師に説教をさせるという制度を導入しました。

 

すると、精神的な不調を訴えたり

事故を起こしたりする人がみるみる減っていきました。

 

たとえ事故にあって指を切断したとしても、

 

「それも神の思し召しです。

神はあなたを見捨てません」

というわけです。

 

その言葉が本人のバイタリティーを生み、

過去の同様の例よりも

早く職場に復帰させることができるといわれています。

 

イラク戦争の戦場成功した方法ですから、

工場で成功しないはずがありません。

 

経済記事を読んでいると、

「最近のアメリカ企業は

福利厚生費などの圧縮が進み、

生産性が向上している」

という趣旨の記事をときどき見かけます。

 

この内容だけでは

具体的に何が起きているかつかめませんが、

実は、従工場牧師の導入によるところが

大きいとみられています。

 

福利厚生費の大幅な削減がいいことなのか

判断に迷いますが、それ以前に、

これはたいへんにグロテスクな話です。

 

政治が宗教を利用し、

それを戦争遂行の道具にしている事例はすでに紹介しました。

ところが、それだけにとどまらず、

いよいよビジネスがそれを利用し始めたということです。

 

宗教は、夢や希望を見失い、

意欲をなくした人間を都合よく利用し動かすための

最も簡便な方法です。

それがアメリカのビジネスの現場で、

組織をあげて導入されつつあるわけです。

 

宗教が積極的にビジネスの現場に入り込んでいるのですから、

こうなると、宗教の利用に歯止めのかけようがなくなります。

きわめて危険な兆候です。

 

このまま放っておくと、

宗教を利用する政治とビジネスの

止めどなき煩悩によって、

々はとことん利用され、

食い物にされるのかもしれません。

 

まさに、人類衰亡の道に

まっしぐらにつづくゲートが開いたのです。

宗教が本来の目的とはかけ離れ、

いかに歪曲されてお金のために利用されてきたか

よく分かります。

ご存知の通り日本も

戦争遂行のために宗教が利用されました。

歴史や世の中を俯瞰的に観ることによって

的確な判断力を持つことが大切ですね!

 


今日は2月11日建国記念の日です。

子ども達に教えてあげたいですね!

 


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